フィールドキーパー・田川雅己さんインタビュー
上川町で働く人たちは日々どんなことに “問い” や “学び” を感じているのでしょうか。その思考を紐解くべく、Toi LABOでは一人ひとりのロングインタビューをお届けしていきます。第二弾は大雪 森のガーデンでフィールドキーパーとして働く田川雅己さんが登場。夏は色とりどりの花と緑が織りなす幻想的な庭園、冬は見渡す限り一面の銀世界が広がるこの場所で、上川町の顔として町内外から熱い支持を集める田川さん。そんな田川さんのこれまでを振り返ることで見えてきた、魅力を深掘りします。
「このまま変わらずに人生が進んでいいのか?」20年続けた仕事で感じた問い
— はじめに、田川さんのお仕事について教えてください。
「大雪 森のガーデン」でフィールドキーパーとして全体の運営、管理をしています。具体的には、オンシーズンである夏場はフィールドの草刈りや専任のガーデナーたちのサポート。冬場はガーデン自体は休みですが、日々の除雪作業や犬ぞりやスノーモービルといったアクティビティを体験されるお客様のガイドなどを行っています。面積が東京ドーム3.5個分もあるので、季節を問わずやることは尽きません。
— 田川さんは上川町育ちということですが、始めからこの町で働いていこうと決めていらっしゃったのでしょうか?
高校生の頃までは東京に出るのもいいなぁなんて考えていました。当時はたのきんトリオなどアイドル全盛期で、同世代の若い男の子たちがテレビの中で輝いている姿をみて、東京に出れば何かを成せるんじゃないかと漠然と考えていたような気がします。しかし、刻一刻と卒業が近づいて進路の話が現実味を帯びてくると、冒険するよりも早く就職先を決めてゆっくりしたいという気持ちの方が強くなっていって、当時アルバイトをしていた地元黒岳のロープウェイを管理する会社にそのまま就職しました。
— 東京での生活も一時は考えていらっしゃったんですね。後からあの時東京に出ていればと後悔することはありませんでしたか?
それが全くなかったんですよね。地元にいれば車もバイクも好きに乗れるし、いろいろと自由が効く環境というのが心地よくって。なんだかんだその会社では20年働きました。
— 20年!それはなかなかの中堅クラスですね。そこで転職を決意されたのにはどういった心境の変化があったのでしょうか?
37歳という年齢になって、周りの人間関係などいろいろと考える部分が出てきたんです。このまま変わらずに人生が進んでいくのかなとか考え出したら、仕事をやめて違う世界を見るのもいいなと思うようになって。地元の空き物件を買って自分でお店を開くのもいいなとか、選択肢はいくつかあったのですが、最終的に旭川に新しくオープンしたスポーツジムのオープニングスタッフとしてアルバイトで働くことにしました。
— 37歳でアルバイトとして新しい環境に飛び込むというのは怖くなかったですか?
怖かったですよ。妻にも相談せずに決めたので。その時はただ、単純に毎日筋トレができるということと、上川町を出て都会で働いてみたいという気持ちを優先していたような気がします。
— 実際に働いてみていかがでしたか?
職場には23歳くらいの店長と10代、20代の若いスタッフばかり。もちろんその中ではダントツ年上なので、みんなからパパって呼ばれながら楽しくやっていましたね。
— そこではどのくらい働かれたのですか?
2年ほど働きました。新鮮な環境で働くことは楽しかったんですけど、業務自体はやはり体力的にとてもハードで。汗だくになるような激しいスタジオプログラムなどもあって、それを1日に3本とか担当するって考えたら、長くは続けられないなと思って辞めました。そもそもアルバイトでしたしね。それで、また地元に戻ってタクシーの運転手をやったりいろんなことをしていた時に、「大雪 森のガーデン」オープンの話がやってきて、ここでもう一丁頑張ってみようかなと思い立ち、現在にいたります。
— 決め手はなんだったのでしょうか?
圧雪車を運転できる人を探していると聞いてこれだなと。最初に働いていた会社で毎日のように乗っていたので、運転に自信があったんです。もしもこの競技があったらオリンピックで銅メダルは取れると思います。
— 銅メダルというのがリアルですね(笑)。ガーデンのオープンに合わせて働き始められたということですが、ちょうどそのころは上川町自体が町おこしに力を入れ始めた頃ですよね。その熱は田川さんも感じていらっしゃいましたか?
確かにそういった動きは当時から感じていました。でも、僕はそこに対して特別熱い想いを持っていたわけではなくって、アイドリング状態。まずは新しい環境で生活を安定させなくてはいけなかったので。エンジンメーターは今でもあまり変わっていないかもしれません。その時々で瞬間的にふかしているような感じ。ずっとふかし続けていたら疲れちゃうし、ガソリンはなくなるし、オイルも交換しないといけない。だから常にアイドリング状態です。
今できることを一生懸命に。日々の中で見つめる町のこと、子供のこと
— 上川町の変化の一端を担うガーデンではオープン以来さまざまな取り組みが行われてきましたが、田川さんの中で手応えを感じるような瞬間はありましたか?
まだあまり実感していないかもしれません。その時その時でいろんなことが起こるので、自分にできる最善の方法を一生懸命やっているだけです。
— 田川さんのもとには、町内外から自然とまた会いたいと多くの人が集まっている印象があります。
確かに、それは嬉しいことですよね。用がなくても遊びに来てくれたり、そうやって人と人がつながっていっているんだったら俺の勝ちだなって思います。インストラクターも人とのコミュニケーションがテーマの仕事でしたし、人前で大きな声でカウントを取りながら、汗だくで踊るなんてそれまでの自分では考えられないようなことをしていましたからね。これまでの経験が全部生きている。その全てがまんざら間違ってなかったのかなって。
— 過去について振り返ることはありますか?
振り返るとうじうじ悩んじゃうタイプだから、なるべく振り返らない。でも、ガーデンで働き始めた2013年からずっと日々の変化は記録して必要なときに見返すようにしています。初めの頃は、仕事を覚えるために必死で書いていたけど、だんだんと記録が積み重なってくると、去年の今頃はこれをやっていたから今年もそろそろ始めようとか、物事を先回りして考えられるようになりました。小さな変化にも気がつきやすくなるので、続けてよかったことだなと実感しています。
— 2013年頃の田川さんからみた上川町と現在の上川町に変化は感じられていますか?
正直、大きな変化はまだそんなに感じていないです。もちろん当時では考えられなかったような大きな取り組みが年々増えていて、外の人からも注目されるようになってはいると思います。地域おこし協力隊ができたことで確実にいい方向に変わってきていることもありますが、まだ全員が同じ方向を向いているわけではないのも事実。点と点は少しずつできてきているけど、まだ線になっていないというか。でも、それらの点がもう少しでつながるような気がしているんですよね。つながったらすごいですよ。もう土台はできているので、上川恐るべし!と言われる日も近いと信じています。
— ずっと上川町の中でみてこられた田川さんの言葉には説得力がありますね。二人のお子さんのお父さんでもある田川さんですが、お子さんたちへの教えなどはありますか?
とにかく上川を出ろとはずっと言っています。上の息子が今年高校を卒業するのですが、ギリギリまで進路のことを考えていなくって。だからといって、学校が提案する選択肢の中だけで「じゃあ、これで」とは決めてほしくなかったんですよね。狭い世界しか知らずに、狭い選択肢の中で生きていくのは面白くない。だから、外の世界を知っている大人を紹介したり、学校では選択肢にあがらないような進路を息子には見せるようにしました。その甲斐あってか、春からは上川を出て、札幌で働くことを自分の意思で決めたみたいです。
— やはりその想いはご自身の経験からきているのでしょうか?
同じ歳のころの自分と息子が同じ道を辿っているからかもしれません。通っている高校も一緒ですから。
— これまでを振り返って、今も上川町で働いていることは正解だったと感じていらっしゃいますか?
その答えはまだ出ていないんです。今もまだ人生の旅の途中。最期の日が来るまでそれを振り返ることはできないのかなって思っています。
— 最後に田川さんのこれからについて今考えていることを教えてください。
ずっとアイドリング状態だったけど、そろそろエンジンをかけてみてもいいのかなって思い始めています。自分のためにじゃなくて、上川町のために今できることを一生懸命やりたい。特に、ガーデンで働き始めてから得られた人脈はとても大切にしたいと思っていて、関わってくれた子たちがいつでも帰ってこれる場所にいてあげたいという気持ちが強くあります。
— まさに、町全体のフィールドキーパーですね。
町もそうだし、もちろん家族もそう。外から上川町に来てくれる人たちだってそう。みんなにとってそういう存在になっていけたらいいですね。
プロフィール
田川雅己(たがわ・まさみ)
層雲峡温泉エリアに生まれ、中学生のときに上川町へ。
高校卒業とともに地元の企業に入社。20年勤めたのちに転職。その後、旭川のスポーツジムでのインストラクター、上川町のタクシー運転手などを経て、2013年から「大雪 森のガーデン」にてフィールドキーパーとして活動している。