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上川町のために東京で働くということ。

2022.03.31
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上川町役場職員・三谷 航平さんインタビュー

上川町を創る人たちは日々どんなことに “問い” や “学び” を感じているのでしょうか。その思考を紐解くべく、Toi LABOでは一人ひとりのロングインタビューをお届けしていきます。第一弾は上川町役場(東京事務所)マネージャーとして東京から町づくりのアクションを行う三谷航平さんが登場。町の可能性を広げるべく、役場の職員でありながらも民間企業に自ら出向し、さまざまな挑戦を続けてこられた理由や将来への想いについて教えてもらいました。

「町の魅力をもっと知って欲しい」その想いで決めた東京出向

— はじめに、三谷さんのお仕事について教えてください。

上川町役場東京事務所のマネージャーとして、町と企業の連携を進める仕事を中心に行っています。また、上川町のことをもっといろんな人に知ってもらえるように、実際にいろんな人に会って、町の魅力を伝えていく活動もしています。

— まさに上川町の宣教師ですね!そもそもなぜ上川町役場で働くことにされたのでしょうか?

きっかけは野球でした。上川町役場は野球が強くて、僕も大学生までやっていたので野球があるから決めたといっても過言ではないかもしれません。また、僕の家族がみんな役場で働いていたこともあり、自然と進路が決まっていった感じです。

— 上川町役場では具体的にどのような業務をされていたのですか?

2014年に産業経済課という中の特命係に任命されて、社会人3年目でいきなり次長になりました。とは言っても、僕と上司二人だけの超少数精鋭だったのですが(笑)。そこでは、観光施策や移住施策など町に人を呼び込むために大雪森のガーデンという観光庭園を開発したり、レストランを作ったり、キャンプ場を改修したりと本当にいろんなことをしていました。

— 「地方創生」という言葉が発表されたのがちょうど2014年だったので、上川町はとても早くから動き出していたんですね。

そうですね。もちろん目に見える成果はすぐにはついてこなくて、「それは意味があるのか?」といろいろなところから批判の声もあったのですが、町長が先頭に立って「動きを止めるな!」と声をかけ続けて、結果的に現在の企業連携などにつながっていったんだと実感しています。

— その後の2019年に、自ら東京の民間企業に出向したいと提案し、前例のない働き方に挑戦された三谷さん。そのアイデアはどこから生まれたのでしょう?

当時の課題として、いろんなコンテンツを持つ上川町の魅力を生かしきれていないということがあって。魅力をうまく発信できていなかったり、町民を含めて町の良さに気づいていない人が多かったり、外部の接点もなかったので「変わらなくていい」「このままでいいんだ」という意識の中に埋もれていってしまうのではないかと不安に感じていました。もっと外の世界に出ていろんな人の考えや発想力、仕事の仕方を含めて民間企業のメディアから学ぶことがあるのではないかと思い、エイ出版社という会社への出向を決めました。(※現在はピークス株式会社へ出向中)

— 当時は企業連携といった形は想像されていなかったのですか?

全然考えていませんでした。発信の仕方やコンテンツの企画力を磨きたい一心で、いかに効果的に町の魅力を内外に知ってもらうかを課題に感じていました。あとは、エイ出版社が趣味やライフスタイルのメディアをたくさん持っていたので、そこから新しい出会いを期待していたという部分もあります。実際に、アウトドアウェアブランドのコロンビア社(以下、コロンビア)やTSIホールディングス社(以下、TSIホールディングス)との出会いはそこから現在の企業連携へとつながったんですけどね。

— その決断に対して周囲の反応はいかがでしたか?

直属の上司はもともと行ったほうがいいと思っているタイプだったので、「行けるんじゃない?」と軽いノリでした。町長も「行ってこい」と二つ返事で送り出してくれました。

— 町としてはすごい投資ですよね。小さな町役場の職員の所属を残したまま外に出すというのは。

そうですね、完全な民間企業に出向させるというのはなかなかないかもしれませんね。

町長の描くビジョンに答えられているか?
その問いが生んだ更なる挑戦

— 当初は東京オリンピックを区切りに2020年に戻る予定だったそうですが、東京に残ることを決めた背景にはどのような問いがあったのでしょうか?

当時は、「町のリソースだけでは、この町は衰退し進化しない。企業や外の人たちの手を借りてまだ見ぬ可能性に挑戦する」という町長のビジョンにまだ答えられていないのではないかという問いがありました。もう少し東京に残ることで、これまで蒔いてきた種や多くの出会いがもう一歩踏み込んだところで実になるのではという予感もありました。実際に2020年以降から連携や協賛というさまざまな動きにつながったので、あの時戻っていたら今のような目に見える形での還元はできていなかったと思います。

— そこには任務としてだけでなく、個人的な想いもありましたか?

僕が挑戦することで、これを前例として次の世代の後輩たちにも続いて欲しいという想いはありましたね。

— 若い子たちの選択肢を広げるというような?

ずっと上川町にいてこの町とその近隣のことしかわからないまま終わるよりも、いろいろなことを見て、学んで帰ってきた方が、結果的には絶対に町のためになると僕自身が経験できたので。

— とても説得力がありますね。では、実際にこれまで上川町へとつなげていくために東京で行ってきたことにはどういったものがあるのでしょうか?

当初は首都圏の大学生や20代、30代のフリーランスといった若い世代を対象に、町の人と交流できるイベントを都内で行ったりしていたのですが、コロナになってどうしてもオフラインのイベントができなくなってしまったので、オンラインで移住の説明会を行ったり、東京からいろんな人を個別で上川町に呼んで、町の良さを知ってもらうという取り組みをしていました。

— 実際にどういった方々を対象に行ったのですか?

それこそ企業を通じてフリーランスのカメラマンさんに声をかけて、短期移住という形で1ヶ月間シェアハウスに住んでもらいながら滞在記録を発信したり、YouTuberさんやいろいろなジャンルのフリーランスのクリエイターをよんで、ワークショップを開催したりしました。

— 町民と交流させることの狙いはほかにもあったのでしょうか?

外の人たちと触れ合う機会を作ることで、町民にとっても発信の仕方や企画力や思考力といった部分を学んで欲しいという狙いもありました。気軽に人が集まれるようにホットドッグ屋さんを呼んだりとかもしましたね。

失敗を恐れずに挑戦を続けることが成功へとつながる

— 多くのプロジェクトを進行されてきたなかで大変だったことはなんですか?

まず第一に、東京から人を連れて行くこと自体が大変でした。コロナという状況だけでなく町の人たちが守ってきたものもあって、「来る必要ある?」というような意見もたくさんあったので。そういった不安を麻痺させるくらいたくさん連れて行きました。もちろん毎回成功するはずはなく、トライアンドエラーの連続。それでもとりあえず町を見てもらって、いろんな視点で感じたことを周りの人に伝えてもらうことで、話を聞いた人が上川町に行ってみたいとか、あの人面白いから連れていこうよというような相乗効果が生まれることが多くありました。とにかく失敗を恐れずに突き進んだ感じです。

— そのなかで手応えはどういう場面で感じましたか?

スピード感を持って良い変化を実感できたのはコロンビアの皆さんとの取り組みです。コロンビアにとっても地域と組むということが初めてだったので、お互いに試行錯誤しながら大雪山国立公園のフィールドの中に直営店を出したり、一緒にテレビ番組を作ったりしました。それこそテレビ番組に出演してくれた町の若者が町づくりに少しずつ興味を持ってくれるようになったり、コロンビアの服を着る町民が目に見えて増えてきているという変化を感じたことが今のやりがいにつながっています。

— 町民の意識の変化を体感する機会が増えてきたんですね。

もちろん服を着ることだけが変化の全てではないのですが、身内として認識してくれる人が増えているしるしなのかなと。また、コロンビアの皆さんからいろいろなアイデアを出していただくことも多く、お互いにいい流れが生まれていると思います。ただお金を払って連携するのではなく、町に共感して課題を一緒に自分ゴト化して考えてくれる人や上川町の人たちの気持ちに心を動かされて関わってくれる人を増やしていきたいと強く思うようになりました。

— 先ほどの問いから生まれた行動によって考え方にも変化があったと思うのですが、これから先の目指していきたいゴールの形はどのようなものだと思いますか?

行政と企業を絡めていく動きは少しずつ形になってきたので、次はより内部の地域住民や観光事業者、商工事業者と外部の企業をお互いに価値を生み出せるようにつなげていけたらと思ってます。

— 具体的にどのようなアクションを考えていらっしゃいますか?

例えば、TSIホールディングスの皆さんとの取り組みであれば、着なくなった衣類を子供用にリメイクするプロジェクトであったり、学校の制服などいろんな服をコロンビアの皆さんと一緒に作って住民に提供したり、一人ひとりの人生に寄り添うような関係性をさまざまな企業と一緒に育んでいきたいなと思っています。

— 最後に、これらの経験を経てどのような学びを得られたと感じていますか?

失自分の違和感に正直に向き合うことの大切さを学びました。その時その時に自分の中で沸いた疑問から目を背けずに向き合うということ、その疑問を置き去りにせずに「行動」というリアクションに移せたことが自分にとっても、町にとっても良かったと思っています。今でも大変に思うことはありますが、後ろを振り返った時に、「あの時ああしておけば…」という後ずさりがない分、自信を持って突っ走ることができています。

— 一つひとつの問いに対して、行動で返してきたことが今の自信につながっているんですね。

もちろん、ここでは言えないくらいの失敗も沢山ありました。そのたびに、「次はああしよう、こうしよう」と考えて、常に前を向くようにしています。失敗の先にいる自分のために、恐れずにいろんなことにチャレンジすることが大切。SNSやネットに載っている知識だけではなく、自分の足で進み、自分の目で確かめて、しっかりと取り組む。そのうえで成功も失敗もするからこそいろんなことが学べるのかなと思います。とある漫画の中で、「未来は僕らの手の中」という言葉があるのですが、僕も途中でポロっと落とさないように、これからも未来の自分に投げかけて行きたいと思っています。

プロフィール
三谷航平(みたに・こうへい)

2012年上川町役場入庁。産業経済課に所属し、上川町が展開する新規事業(北海道ガーデンショー・大雪山大学・カミカワークプロジェクトなど)の企画構想・立上げに主担当として携わる。
2019年7月より、東京の民間会社に出向し、KAMIKAWORK.Lab.TOKYO.SATELLITE(上川町東京事務所)も兼ねつつ都市・地域をつなぐ架け橋として数多くのプロジェクトを企画・進行中。